おはようございます!
今回ご紹介するのは、福岡県北九州市の「甲宗(こうそう)八幡宮」さんです。
こちらは、源平合戦の戦場となった壇ノ浦から、門司市街地に向かう途中にあります。
入口がこちら。
神社の名前が書かれた大きな石碑が立っていますね。
石段の参道がまっすぐ天に向かって続いていきます。
石段を上り終えると、ご社殿全体が見渡せる場所に着きました。
神社の拝殿(中央)と、社務所(左側)です。
「甲宗八幡宮」の創建は860年。
大和国(奈良県)大安寺の僧侶であった行教(ぎょうきょう)が、不思議なご神勅により、宇佐八幡宮のご分霊をお祀りしたことが起源といわれています。
神功皇后が着用されていた「御甲(おかぶと)」をご神体として、外朝西門鎮守門司八幡宮(後の甲宗八幡宮)にお祀りしたことが、神社のはじまりです。
現在の神社のご祭神は
◎応神天皇
◎神功皇后
◎市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)、多紀津比売命(たぎつひめのみこと)
八幡神をお祀りされています。
そして驚いたのが、拝殿前でお参りする時。
なんと、兜(かぶと)が置かれているではありませんか!
こんな風に拝殿の手前に兜がある神社は、初めてお参りしたかもしれません。
ちなみに、神社のおみくじも兜!
なんだか勇ましい気持ちになりますね。
甲宗八幡宮さんは、神功皇后の御甲がご神体としてお祀りされた起源があるので、やはり勝運を後押ししてくださる雰囲気があります。
さらに神社が鎮座する門司港地区は、かつて源平合戦が行われた壇ノ浦を望む街。
1185年3月には、壇ノ浦合戦の前に鎌倉方の大将であった源範頼と副将の源義経がそろって参詣し、甲宗八幡宮に必勝祈願をした記録も残されているそうです。
そしてこれも不思議な巡り合わせですが、神社の境内には、平家の武将であった平知盛卿のお墓もあるのです。
平知盛卿といえば、優れた名将として歴史に名を刻み、平家一門の最期を全て見届けた際に「見るべき程の事は全て見つ」という言葉を残して入水したことでも知られています。
この後、知盛卿の遺体が門司関に漂着。
これを哀れんだ里人によって葬られ、数百年の間、供養されてきたそうです。
しかし、昭和28年の水害のため、現在は甲宗八幡宮の社殿横に遷座されています。
そんな源平の歴史と深い関わりがある神社ですが、他にも境内には気になるものがありました。
まず目を引くのが、ご社殿の横にある大きな楼門。
こちらは「南隅楼」で、反対側には「北隅楼」があります。
風水に基づいて建てられたのだとか。
近くで見ると彫刻が細かくて、素晴らしいですね!
そしてこちらは、衣食住を司る宇加之御魂神を祀る「筆立山稲荷神社」です。
お稲荷さんならではの、連なった朱色の鳥居がありますね。
お参りが済んで最後は、社務所にてご朱印をいただきました。
鳩の印も押された素敵なご朱印、ありがとうざいました!
《甲宗八幡宮》
福岡県北九州市門司区旧門司1-7-18